秋田雨雀

2015年02月28日

太陽と花園日記 大正暗黒童話編

20150301数年前訪れた新橋の古本市で、ふと導かれるように手に取った「童話・太陽と花園」。最初はその装丁の美しさに惹かれたのだけど、童話と言っても子供向きのデザインではないのでもしかしたら・・・という直感が働き、即購入。その勘は見事に当たったわ。

丁度この頃自分がリリースした楽曲「赤い実」も童話ベースの世界観で作り込んだら面白いものが出来たので、次は大人の為の童話を制作しようと考えていたのよ。童話は子供のための寓話と思われがちだけど、さにあらず・・・人間に対する警告と考えるべきかもしれない。どの作品も深く、重いテーマを持っているわ。

この本は、大正10年に秋田雨雀という人が書いた作品なんだけど、とにかく強烈!

大正時代にこんなに内容の濃い本が出版されていたとは・・・いや、この時代だからこその自由な表現と言うべきかしらね。内容も然る事ながら、まず本の装丁が見事なの。菊の花の間からお釈迦様のようなポーズで現れる子供が独特の罫線で彩られ、どことなく手作り感満載なのが良い。

表紙の色合いも原色は用いられず、微妙な赤茶色がメインでアクセントに金が使われていてすごく粋なの。昔はこんなにも個性的な本ばかりが店頭に並んでいたとしたら、お洒落で本当に楽しいと思うわ。今はフルカラーで色も綺麗に出せる技術はあるけれど、逆にここまでの個性を出すことが出来るだろうか・・・。この時代は本屋さんはエンターテインメントの宝庫だったのでしょうね。

そして、本文に入る前の書き出しにこうあったわ。「童話は大人に読ませるのではなく、『大人が大人自身の子供の性質』に読ませるものである。」・・・この一文で、何故大人である自分が童話に惹かれるのかという理由がわかったのよ!人間は年を経る毎に"子供の部分の容量"はどんどん減少していくもの。最も無垢で重要なその部分があればこそ大人として飛躍出来る・・・言わば真っ白な部分は、跳び箱のジャンプ台的な役割ではないかしらね。そう気付いて全身に衝撃が走ったわ。これだけ感性の鋭い人物が描くストーリーは、すべて”ド”がつくくらいシニカル。童話独特の限られた少ない文字数の中で、様々な暗黒世界が展開していったわ。

同タイトルの「太陽と花園」は、父から土地を受け継いだだけの無力な男が畑に何を植えていいか分からず人の意見ばかりを受け入れ、結局は何の成果も出せずに途方に暮れるという話なのだけど、最後にその一部始終を見ていた太陽が『人間というのはどうして自分自身の考えを尊ばないんだろうね』と言うのよ。どこかで聞いた話じゃない?そう、現代の日本でも全く同じ事が言えるわ。

やはり昔から日本人のこの"流され性質"は少しも変わっていないのかしら。そんな人達に対して雨雀氏は苛立ちと危機感を感じていたからこそ、こんな作品が生まれたのかもしれない。しかしながら、これほどシンプルな内容でさらっと皮肉っておきながら最後はひと突きに刺す、というやり口にはただただ天晴れ!だわ。今改めて童話を読んでみると、自分の立ち位置や気持ちが良く理解出来る気がする。果たしてその時に爽快感を覚えるのか、焦燥感を感じるのか、心のリトマス試験紙として試してみてはいかがかしら?

pipopipotv at 00:00|PermalinkComments(0)