山口小夜子

2016年03月06日

山口小夜子日記2 「氷の花火」は瞬く間に燃え・・・編

20160303「山口小夜子」…彼女の存在を知らぬ人は殆どいないはず。

小夜子が月に還ってしまった年、ミッドタウンで行われたお別れ会が開催されたのだけれど、その時に流れた彼女の映像が今なお目の奥に焼き付いているわ。

満を持して、と言うわけでは無いけれど、2015年公開された山口小夜子ドキュメンタリー映画「氷の花火」が上映されると聞き慌てて劇場へ。

どうしてもこういった作品はミニシアター系公開になってしまうので期間も短い上宣伝も見落としがち・・・でも何とか最終日に間に合って安堵よ。予想したとおり作品としては今ひとつの出来ではあるけれど、やはり山口小夜子の映像を目の当たりに出来るという意味では非常に貴重な作品である事は間違いないわ。

そして更に素晴らしいのは、大切の保存されていた小夜子の遺品をひとつひとつ紐解き彼女の生き様を見せてもらえたことね。監督自身、小夜子と仕事を通じて交流があったことから全編通して彼女への愛とリスペクトが強く感じられ全体的に優しい仕上がりになっている。

小夜子が天女であることを世界に知らしめた山本寛斎、そして最も興味のあったセルジュ・ルタンスへのインタビューも興味深く、彼女がモデルという枠を超え如何にアーティストであったかを改めて思い知らされたわ…若い頃から世界的モデルとして、資生堂の専属モデルとしても十数年の契約期間を務め上げたのち40代でまたどちらの大舞台にも返り咲くというその努力・・・その間もダンスやパフォーマンス、朗読など絶え間ない表現を突き詰めていくその姿勢と貪欲さたるは最早人間の域を超えている。

天女は人間界で表現することの素晴らしさを身を以て私達に教える為に遣わされたのではなかろうか・・・そんな気がしてならない。あの透き通るような美しい肌、魅力的な瞳、漆黒の髪、しなやかな手足、どれをとっても人間離れした荘厳かつ究極の美がそこに存在する。

彼女は歌うように語り、その声も発する言葉もエレガント…所作ひとつひとつに無駄が無いどころか、見ているこちら側が恥じてしまうほどの気品を漂わせている。美は1日にしてならず、小夜子はどれだけの努力を重ねてきたのだろうか・・・。これまでの彼女の作品からもわかるように仕事に対するストイックさは超ド級で山本寛斎曰く「凄まじい他流試合をこなしていった」とのこと…誰よりも彼のコメントが小夜子の表現を言い得ていたと思うわ。

40代でモデルとして復帰した小夜子が自身の編み出した舞踏的な動きをランウェイで披露した際、当時はモデルがここまで表現するのかという声が挙がっていたそうだけど、会場は賛美の拍手に包まれていたのよ。モデルというものはただ服を魅せる為に存在する、という常識が覆された瞬間であるわね。

20160304服はモデルが身につけた瞬間息吹き、そこからストーリーが生まれる・・・小夜子は以前、洋服が自分を導いてどう動けば良いか教えてくれると語っていたけれど、服と対話が出来ている彼女だからこそ表現が出来るのよね。

最後のステージでは可愛らしい毛糸の玉が幾つもついたニットを身につけて現れたのだけど小夜子はその服に応えるかの如く幼い少女に変化し、何度も毛糸を弄びながら最後は振り返るという物語を創り上げていたわ…たった数分のランウェイ・・・この瞬時に服を含む世界観を感じさせてしまうなんて、やはり天女である証ね!!…こんな貴重映像の数々にただただ溜息よ。

ひとつ残念だったのは小夜子を現代に蘇えさせるという企画で、彼女縁のメンバーで彼女に似たモデルをメイクしシューティングするシーン…確かに見た目は同じように出来ただろうし関係者の小夜子への愛は理解出来るけれど、これはやってはいけなかった事だ。

小夜子の事をあまり知らない若いモデルがただ引っ張り出されて監督及び彼らのノスタルジィの為だけに行われたとしか思えず、これは彼女の仕事に対する冒涜でしかないと怒りが湧き上がってきたわ…明らかに小夜子は自分の全感覚を研ぎ澄まし覚悟を以て作品に臨んでいる…そこを何故理解出来ないのだろうかと残念な気持ちになってしまったの。

日本のモデルは体系的にもどんどん欧米化し世界的にもひけをとらない人も多いのかもしれない…しかし真摯に洋服と向き合い自分なりにその世界観を表現しようとしているのだろうか・・・プロとは?カリスマ性とは?表現とは?様々な疑問とその答えが己の中で錯綜する。

自分自身、表現とは己を削って削り倒してその中から見出すものではないかと思っていたけれど、小夜子を見ているとそれはあながち間違いでは無かったのだなと思える。氷のように冷静で花火のように情熱的・・・彼女は美の両面を私達に見せてくれたのだ。

小夜子、次にあなたが羽衣を取りに降りてきた時、私達人間は少しだけ美しくなっていると思います。今しばらくお待ち下さい・・・。

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2015年05月04日

山口小夜子日記 永遠のファッション・アイコン編

20150504山口小夜子…彼女が月に還ってしまってから、早ものでもう8年の月日が経ってしまったわ。

幼少の頃、自分は「ファッション通信」という番組が大好きで、そこで流れる資生堂の「セルジュルタンス」のCMに登場した彼女に目を奪われてからというもの、その神秘的な美しさの虜になってしまったの。天女は実在した・・・!それが第一印象よ。

小夜子は”スーパーモデル"という言葉を生み出した第一人者であり、日本の美を世界に知らしめたファッション・アイコンであることは間違いない。切れ長の瞳、白い肌、美しい直線を描く黒髪…彼女が持つものすべて、美は不滅であると体現していたわ。

彼女が召された年、東京ミッドタウンで上映会が開催されたのだけど、たった4回の上映しか行われないと聞いて取るものも取り敢えず駆けつけたの。当日は全国から小夜子信者や、ファッション・ジャーナリストの故・大内順子をはじめとする関係者が集結し彼女を偲んでいた。

上映会は40分ほどで、小夜子のインタビューやJ.P.ゴルチェを始めとする歴代のショウ、そして惜しまれる最後のショウの映像が次から次へと夢のように流れていったの。鈴が鳴るような美しい声で彼女はこう言っていたわ…「洋服を纏う時、自分は無になる。その後は洋服がどう歩いてどう動けば美しく見えるか誘ってくれるから・・・」と

ファッションモデルはデザイナーの世界観を短いウォーキングの間でいかに伝えるかが勝負。己を無の状態にしつつ洋服のメッセージを伝える・・・でも小夜子は服をより美しく魅せる為に指先から髪の一房まで神経を張り巡らし、空気さえ変えてしまっていたのよ。イッセイ・ミヤケのショウで見せた躍動感溢れる見事なダンスウォーキングは、彼独自の作品のラインの美しさを強調していたし未だ目に焼き付くほど美しかった。

小夜子はモデルという枠を超えた”表現者”であると言える。デザイナーは己を削りだして作品を生みだし、一糸一糸織り込まれた哲学をモデルは体現するという重要な役目を担っているわ。より良く作品を見せる事だけでなく、そういった魂の部分を瞬時に伝えなくてはならない過酷な仕事であるという事が小夜子の映像を見ていて理解出来たの…だからこそ彼女は”スーパー”モデルなのね。

たまに見る日本のファッション雑誌で上辺の可愛らしさとセクシーさに自己陶酔気味の若いモデルを見るとがっかりするわ。表現するどころか逆に作品の知的さを失わせてしまっていたり、個性を殺してしまう状態になっているものすらあるのよね。

何をするにしても表現をするというのは生半可なものではない。山口小夜子はその圧倒的な存在感、究極の美、儚さ、透明さ、そして強さを兼ね備えた人だったけれど、そのすべてを体現するために血の滲むような努力をしていたに違いない。彼女に続く者がいるか?と問われても、残念ながら思い浮かばないわ。

表面の美しさとは、顔の造形、体のバランス、性格や雰囲気、様々な要因が影響し合って完成されるけれど、本当の美は”理解”する事で形成されていくのではないか・・・そんな風に思えてならないの。

山口小夜子…彼女が日出ずる国に降臨したのは、羽衣が小枝に巻き付いてしまったからでは無いだろうか。伝説はこれからも語り継がれていく。

pipopipotv at 00:00|PermalinkComments(0)