ご本

2017年06月16日

Xファイル日記3 捜査官と学ぼう!!編

20170605日本での最新シーズン放送も間近・・・モルダー&スカリーのゴールデン・コンビの姿を今か今かと待ちわびる「Xファイル」

この伝説的番組が学習絵本として発売されるそうよ!!…その名も「The X-Files: Earth Children Are Weird」…なんと、子供のモルダーとスカリーが主人公なの。

裏庭に張ったテントで一夜を過ごす2人が奇妙な物音や光、正体不明の影に遭遇しそれを解明していくストーリーなんですって…本編と同様モルダーはオカルト好きの陰謀論者、スカリーは現実主義で倫理的という設定は変わらず。

イラストレーターのキム・スミスによって描かれた子供のモルダーとスカリーは髪型もそのままに可愛らしくポップな絵柄で楽しめるわ…出来ればFBIのスキナー副長官が先生で、彼らの友人であるメルビン、ジョン、リチャードの3人組は他のクラスの友人、最大の敵スモーキング・マンを謎の校長先生などにキャスティングしてくれれば良いなとは思うけれど、絵本として楽しむには込み入った展開になってしまうので難しいかもね。

狙いとしては超常現象から科学的な知識や想像力といったものを育てるのが目的ではないかと思われるけれど、しかしながら目の付け所が良いわよね…自分が幼い頃は、絵柄が可愛いビジュアルで楽しむ絵本や、ファンタジー要素の強いストーリーから教訓を学ぶものなどが多かった気がするけれど、まさか「Xファイル」からスタートするとは・・・今の子供達はなんとも贅沢というか、羨ましい。

さてさて、モルダーとスカリーの探究心は大人でも子供でも全く変わりないので、どちらにもエイリアンは登場するのかしら?うーん、気になる・・・!!

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2016年05月23日

名作漫画日記 オスカルからマヤまで・・・編

20160510最近は全く漫画を読まなくなってしまったわ…今は気になる書籍はAmazonで翌日届くしアプリや電子書籍などネット上で簡単に作品が読めるようになったけれど、肝心な触手を刺激する作品に出会えないのよね・・・。

それこそ昔は、本屋さんで立ち読みを始めれば閉店近くまで・・・というほど魅力的な作品が山のようにあったわ。ストーリーも絵柄も様々でページを開いた瞬間に魅力的なキャラ達がそれぞれの世界へ誘ってくれたものよ。

特に70年代の作品は画力の高さや個性は勿論のこと、読むだけで知識として身につくものも多かった…先日『後世に残したい70年代少女漫画ランキング』というのが掲載されていたのだけれど、このランキングは自分の思うものと全く同じだったのでご紹介するわね。

まず1位は不動の「ベルサイユのばら」…言わずと知れた悲劇の王妃マリー・アントワネットの生涯とフランス革命を描いた歴史的大作よ。史実に忠実な展開ではあるけれどオリジナル設定で登場する男装の麗人オスカルは漫画史上最も美しく、心ときめくキャラだわ…何十年という時を経ても未だ乙女達の心を掴んで離さないのは納得よ…この漫画を読み倒したお陰で歴史のテストは教科書いらずで99点ゲット。

続いて2位は「キャンディ・キャンディ」…これも孤児のキャンディが様々な困難に遭いながらも自分らしく生き、己の道を突き進むという感動巨編ね…劇中は、おしんさながらのいじめや悲運に見舞われても涙をふいて立ち上がる力強さ、成長するに従いどんどん可愛くなっていく彼女の姿に自分の姿を重ねた少女も多かったはず…しかも看護婦になろうと自立の道を選んだという点も現代的で素晴らしい。

そして3位は「ガラスの仮面」…演劇をテーマにした作品も色々あるだろうけれど、ここまで深く掘り下げて描かれたものは皆無じゃ無いかしら…非常に専門的で、自分もひとり芝居の際は参考にした点も多いの。天才女優北島マヤと姫川亜弓が演劇史上幻の作品「紅天女」を演じるためにそれぞれの演劇道を極める…という不朽の名作よ…美内すずえ先生の表現力の豊かさ、次々登場する魅力的なキャラクターは端役であっても際立っているのが凄い…長寿作品である故絵のタッチが変わってきてしまったのは仕方ないけれど最新刊ではキャラが大人びてきて母のような気分で展開を見守っているわ。

どの作品もストーリーがしっかりとしており時代背景や人間関係、キャラの心の推移などが細やかに描写され感情移入しやすい…しかも画力が高くオリジナリティ満載で、これぞ日本代表の少女漫画!と言える。

これほどエネルギッシュな作品が存在していた70年代・・・今は絵の上手な作家さんは多いけれど”ただ上手”とか”どこかで見たような”というものばかりが目についてしまうのよね…漫画は映画を作るのと同様、核になるストーリー、脚本、キャスティング、編集すべてを行うという非常にハードな表現だと思うわ…だからこそこれほどまでの作品を生み出してくれた漫画家の皆さんには本当に感謝したい・・・これらの作品によって知識だけでなく感覚のアンテナを増やすことが出来たのだから・・・。

因みに4位は「エースをねらえ」5位は「はいからさんが通る」そして6位に「パタリロ!」と続いて大納得!!…どれも改めて買い直したいわ!!さぁ、新人作家の皆さん、この勢いに負けないよう頑張ってください。

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2015年09月12日

大人の紙芝居日記 厚紙に潜むダークサイド編

20150906数年前、新橋の古本市で40年以上前に使われた紙芝居を2冊手に入れたの…作品を作る際参考にしようと購入したのだけど、これが子供向けとは思えない恐ろしくも重い内容だったのよ。

1冊目は「いきている おにんぎょう」…物語は生まれたばかりの妹の面倒をみなくてはいけない幼い少女が主人公…少女は妹の面倒に辟易し隣の子と遊びに行ってしまうの。

その時隣の子が持っていた人形が欲しくなり母親にねだると、母親は彼女に「うちにはこんなに可愛いお人形がいるのだから可愛がってあげなさい」と言ったわ…それから度重なる母の言葉により少女は姉としての自覚が芽生え妹を愛しく思うようになったのよ。

教育的なストーリーだから仕方ないけれど実際にこんな事はあり得ないわね。少女は初めて嫉妬という感情を抱き、これから憎しみや悲しみ、そして欲望にどっぷりと冒されていく・・・それが自然な姿だわ。母親が子供を洗脳すべく発した言葉をタイトルにするとは・・・背筋がぞっとするわね。

2冊目は「ともちゃんととうめいにんげん」…少年ともちゃんは自己中心的な性格で己の傍若無人な振る舞いを透明人間のせいにしてきたの。

ある日本物の透明人間が現れて彼の友人達に悪戯をし友人達はそれがとも少年の仕業だと思い彼を村八分にしてしまったわ。やがて透明人間の魔の手から友人を救ったとも少年は信頼は取り戻し大団円…透明人間は新たな仲間を探しに旅立っていったの。

このストーリーも単純ながらぞっとさせられたわ。幼い子供達に猜疑心が芽生え当たり前のように存在していた信頼が失われた時、それぞれがどんな行動をするのかという点は考えさせられる。しかもラストで透明人間は新たな仲間を探しにいくのだから、ブラックな結末よ。

ふと見ると、紙芝居の裏に印刷された”お話のねらい”という欄に「ともちゃんのわんぱくぶりや透明人間と決別する場面を強調しないように」という注意書きが・・・教育的な見地からすると納得出来るけれど、この点を強調することで大人用になるのではないかしら??

どちらも優しい切り絵的な画風であるけれど根底に大人のどす黒さが見え隠れしてついほくそ笑んでしまう…大人になって改めて読んでみると納得させられると同時にレイヤーの様に重なる負の感情を楽しめる。

これらの作品は今後様々な人間関係の渦に巻き込まれていく子供達にとって「暗黒バイブル」と言えるでしょうね…以前紹介した「火山人間」も同様、紙芝居に秘められたダークサイドを昔の子供達はどう感じ取ったかしら?あ、自分もその子供のひとりか・・・うーむ。

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2015年06月14日

日野日出志日記6 母胎回帰編

20150612清水正「日野日出志を読む」…本書は、漫画家日野日出志の作品について著者の漫画論を述べたものよ。読み進めていくうち、著者がどれだけ彼の作品を愛しているのか窺い知れるし、これまで未読の作品を紹介してくれているのも嬉しい限り。

自分自身日野作品を網羅していないので、その中から気に入ったものを更に探し出すという楽しみも享受できるわ。そういう意味でも、日野作品に馴染みの無い人が読んでも十分に楽しめる構成になっているかも。

個人的に最も気になった作品は「水の中」…魚好きの少年が事故に遭い、酷いケガを負って母の世話なしには生きられなくなってしまうという冒頭から壮絶なストーリーよ。

父も亡くなり、経済的に切迫した家計を支えるべく母は水商売を始めたわ。最初は少年の世話を焼き優しかった母が、次第に"女"へと変化し少年に辛く当たるようになるのよ。ある夜母は男と一緒に帰ってきたものの、朝になると男の姿はなく冷たくなった母の姿だけが・・・。

少年はやっと自分の元に帰ってきた母の側で嬉しそうに添い寝をするの。しかし不思議なことに親子の姿は忽然と消えてしまう。近所の人が姿が見えない親子を心配して警察を呼ぶけれど、警察も事件性の無さにただ首をかしげるばかり。しかし水槽の中では幸せそうな親子の姿が・・・というファンタジー作品で、決してホラーではないのよ。

何より親子は”共に生きる事”に一生懸命だっただけで、途中それを維持するために歪みが出来てしまっただけにすぎない。これほどまでに現実は幻想の世界よりも過酷であり、生きるということはこれほどまでに悲しい事であると思い知らされたわ。この「水の中」はそれ以来自分の中に大きな波紋をもたらし、寝ても覚めてもこの作品の事を考える日々が続いたの。

清水氏曰く…『日野作品はオイディプス的願望が色濃く出ている』と論じているけど、その考えには同感!恐らく少年は母と一体化したかったに違いない。男性の殆どは深層心理の中でそう思っているはずだし、あれだけ大事にしていた母が水商売の為美しくなるのは少年にとって裏切り行為であり、男達と関係を持たれるくらいなら死して自分の元に戻ってきた事が喜びだったに違いないわ。少年の部屋にある水槽は母胎回帰の現れであり、少年は再び母の羊水の中に帰っていったのかも・・・。

これほどまでに人間の奥底に潜む感情や衝動を暴く事の出来る漫画家がいるだろうか?…改めて言えることは、日野日出志先生はホラー作家では無く、あくまで表現方法として漫画を用いただけ。彼こそが”人間作家”であるということをここに強く訴えたいわ。

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2015年06月12日

斎樹真琴日記 地獄番、鬼蜘蛛日誌編

20150609斎樹真琴著「地獄番 鬼蜘蛛日誌」…以前ブログ友達のShovさんが紹介されていたのがきっかけで読んだのだけど、実にタイトル負けしない重厚な内容だったわ。丁度自分に迷いがある時期にこの本と出会ったので、心を抉られ大きな穴を開けられたという印象が今も強く残っている。

物語は地獄に堕ちてしまった女郎が鬼蜘蛛になり、閻魔から鬼の御用聞きと地獄の見回り、そして日誌を書くという仕事を命ぜられるところから始まるの。地獄に棲む恐ろしい鬼が罪人に責め苦を味あわせる、というのが通常の地獄の描き方だけど、この作品では鬼はもとから地獄に存在していたのではなく、恨みを持った人間が地獄で復讐する相手を痛めつける為に鬼と化したという設定になっており、実に新鮮。

“賽(さい)の河原"にいる鬼は生前徳の高かった僧侶で、彼らは自分たちの説法を聞かず信心しなかった人間を恨んで石を積ませ続け、"なます地獄"の鬼は生前醜かったばかりに美しい者を恨む嫉妬の塊のような人間で、地獄で彼らの皮膚を剥がし目をくりぬき己の体に縫い付けているという有り様。

この地獄は人間の自分勝手な欲深さが理由で成り立っているので、恐ろしさよりむしろ親近感が先行するの。裁く側と裁かれる側には分かれていても、罪人も鬼も救いを求めるという点は同じ。閻魔大王でさえも威厳というより彼らを監督する管理職のように思えてくる。この斬新なアイディアにはただただ驚かされると同時に、著者の宗教観が垣間見えて興味深いわ。鬼蜘蛛自身もこのどす黒い世界に人間臭さを感じると同時に、神仏に対しての疑問が湧き上がり『神仏は人間に責任を押し付けるのでなく、生きて行けると思える何かを人間が間違いを犯す前に与えたらどうなのだ』と閻魔に食ってかかるの。

神仏はその"何か"を見つけるように彼女に言い残し去るのだけど、この2人の禅問答が実にテンポが良くそして深く"生きる事の強さと儚さ"がぐっと伝わってきたわ。母に売られ女郎になった女が誰にも頼らず1人で生き、そして死に、蜘蛛となった今は地獄を駆けずり回っている・・・皮肉な事に鬼蜘蛛になった今、己が最も欲していたのは愛情だという事に気付くのだけど、彼女が感じている愛は人間に対してだけでなく宇宙に至るまでの大きなものだったのよ。

体を売り、口汚く振る舞い、感情を露わにして周囲を振り回してきた女郎・・・しかし彼女は非常に正直な人間であり、人間だろうが閻魔だろうが関係なく自分の信念を貫いている。もしかしたら彼女が地獄に於いて最も天上界に最も近い人間だったに違いない。

最後のページでは鬼蜘蛛の報告、そして彼女に対しての牛頭、閻魔大王の記述が残されているのだけど、まるで映画を見ているような構成になっているのもお見事よ。ただひとつホッとするのは、インデックスがどこかで聞いたタイトルをもじっている点かしら。この絶妙なコミカルさも著者のセンスの良さと言えるわ。

人間は生きている間は常に愚行の繰り返し・・・どこで自分の過ちに気付くかが今後の人生に影響してくるのかもしれない。この本を読んで、果たして自分がどのキャラクターに当てはまるのか客観視してみると次のステップが見えてくるかもしれないわ。解脱の道は・・・まだまだ遠そうね。

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2015年06月08日

谷崎潤一郎日記 痴人の愛編

20150605お気に入りの本を挙げるとすれば間違いなくそのうちの1冊に入る、谷崎潤一郎の快作「痴人の愛」…90年も前に産声を上げたとは思えないほど、その突き抜けた感性とこだわりには今なお驚かされるばかりよ。

何度読んでも新鮮で、常にこの特異な感覚に触れていたいとすら思ってしまうわ。言わずと知れた谷崎潤一郎の代表作であるけれど、これはもはや紙面を飛び出した”感覚的小説”と呼ぶべきかもしれないわね。

物語は皆さんよくご存じだと思うけれど、生真面目なサラリーマンの讓治がカフェの女給をしていた13歳年下の少女ナオミを自分好みに育てるというものよ。しかしこのナオミ、成長するにつれ天性の妖婦ぶりを発揮し讓治を悩ませてしまう。自分の魅力を誇示するかのように次から次へと浮気を繰り返すナオミに遂に三行半を突きつける夫・・・しかし彼の身も心も既にナオミに囚われており、逆に彼女に飼い慣らされてしまっていたわ。その後は焼けぼっくりに火、などという可愛らしい和解ではなく、ナオミ崇拝者の讓治は再び彼女に翻弄されながら元の鞘に収まるの。

客観的に見れば、事件が勃発するキッカケはすべてナオミであり悪いのは完璧に彼女の方なのよ。しかしながら讓治があまりにも彼女を愛するが故に形勢は最初から逆転しっぱなし・・・読者としてはしっかりしなさいよ、と応援する気持ちがあったはずなのに不思議とナオミ側についてしまうというのは、谷崎潤一郎の描くマゾヒズムが自分の中にある女性の本能に心地良く響いてくるからなのかも。

”生きる”という戦場において、財力も知力も持たない地味な少女はこれまで前線に出ることすらままならなかったけれど、讓治という武器庫を得たことで最前線に躍り出、更に自分の持つ武器が強靱であることに気付き自分なりの戦術を見出した、ということかもしれないわ。女性が生きて行くには今よりももっと厳しかった時代、この作品を読んだ女性陣はきっとナオミの自由奔放な生き様に憧れ、こうありたいとため息をついていたに違いない。

現代は男性の勢いが弱まりナオミのような女性が増えてきたかもしれないけれど、やはり女性はパートナーに思われてこそ幸せ・・・例え度を超しているとしてもお姫様気分を味あわせてくれる男性がいるとしたら最高よね。お気に入りのシーンは多々あれど個人的に一番好きなのは、カフェを辞めたナオミが讓治と友達のような付き合いをしながら同居する家を探したり、以前から学びたかった英語や音楽を自分の好きな服を着て習いに行く行なの。

まだ妖婦の片鱗は見えず、讓治しか頼る人がいない状況下で言葉少なげにひっそり生活するナオミがなんだか可愛くて仕方ない。やがて大輪の花が咲くように豹変するナオミに対しては20%の軽蔑、70%の憧れ、10%の愛ならぬ哀を感じるわ。この視点ってどこか親父臭い気がする・・・気のせいよね。

しかし女たるもの、自分を主張するには常日頃から武器を磨き、戦況の変化に対応すべく戦術を立てるということが重要であると読む度に痛感させられてしまう。ナオミのような戦術士官にはなれないけれど、まずは美白から始めるとしよう・・・そしていずれは・・・無理ね。

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2015年05月29日

森茉莉日記 ヴォリュプテの化身、残酷な微笑編

20150522「痴人の愛」のナオミに並ぶ毒婦が登場する小説と言えば…森茉莉の長編小説「甘い蜜の部屋」ね。

偶然帯叩きに三島由紀夫氏が"官能的傑作"と評していていると書かれていたのだけど、なるほど、読み進むにつれ本編のあちらこちらで三島氏独特の"時間差の人物描写"手法が見られ、二人の感性が共通していると分かり納得したわ。

ストーリーは大きな起承転結はないものの、じわじわと虫が這うような不快感があって凄く良い。時は大正時代。ある名家に、この世の美を全て集めたような美貌と無意識の媚態を持って生まれてきた少女が生まれるの・・・彼女の名はモイラ。いつまでたっても精神は無垢な子供のままなのだけど、時折毒を含んだ甘い蜜で男性達の人生を狂わしてゆくのよ。

そんな可憐な獣を操る事が出来るのは、彼女を愛してやまない父親だけ。モイラ自身も恋人よりも夫よりも父親を愛し、魂の拠り所にしていたわ。彼女は平凡を蔑み美しいものだけを愛し、自分の哲学に反するものを排除していくのだけど、それは彼女が完全なる美を持っているからこそ通用するのよ。

モイラは恋人、下男、婚約者と次々に自分の崇拝者を増やしていくけど、年老いたロシア人ピアノ教師が、中学生になったばかりの彼女に心を奪われていく様は絶妙!枯れてしまっていた教師の心に宿る小さな情熱の火・・・その火をこっそりと灯し続けることが彼にとっての"蜜"であり、幼いモイラが初めてに男性に与えた"蜜"でもあるの。ナオミは男性を惑わす術を身につけ”後天的な蜜”を持つけれど、モイラは”先天的な蜜”を持っていたということになるわ。そういう点ではモイラは無敵の毒婦と言えるかしらね。

しかしながら、どんな年若く美しい青年が登場して愛を語ったとしてもこれほどまでに美しくせつない描写はなされないだろうと思うくらい、この行は見事だった。自分も以前このせつない部分を表現したくて、PODCASTで『ピアノ爺』という作品を作ったのだけど、こういう感覚がヒットするのは母性が強い女性だからこそなのかも。しかしながらここまで男性陣を惑わせるモイラには、同じ女性として羨望してしまう・・・いや、でもどこか人間離れしていて恐ろしいわ。

最後の章で父親が心中を語る部分は、読者への考慮なのか分かりやすい言葉を選んでいるのが残念だけど、本文の細やかな描写は読み手を大正ロマネスクの世界に誘うのには十分よ。女性には"美が導き出す恍惚感"、男性には"コキュ的な愛情"を存分に味あわせてくれる名作とでも言うべきかしら。さて、女性たちには自惚れ、男性たちには翻弄を楽しんで頂く時間ですよ。是非!

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2015年05月25日

日野日出志日記5 ジパングナイト編

201505191997年発刊の日野日出志先生作品集「ジパングナイト」…短編9話というボリュームながら内容は更に濃厚よ。ティーン向けの雑誌に初出された作品ばかりなので、比較的分かりやすいストーリーではあるもののその切り口はさすが!のひと言ね。

どの作品も都会に生きる人間達の悲しさや苦しみが描かれていて、ストーリー展開が簡潔であっても重みは失われていない。ネズミを愛するが故にいじめられ自らネズミになった少女、家族の期待を背負い猛勉強をしたあまり頭が支えられないくらい肥大した少年、マンションの一室でひっそり子供を産みひっそり死んでいった母子、親より早死にしてしまった子供達が地獄に行くまでの準備をするクラス”死組”など着眼点が実にお見事よ。

しかし従来の日野作品から比較すると、より現代に近い時代背景に設定されていたり、画風も悪い意味で丁寧になっていたりと、ご本人の思惑ではない部分が見え隠れすると同時に若干線の威力が失われている感は否めないのが残念ね。

お気に入りは『うしろの正面』

ある朝、首だけが後ろ向きになってしまった少女が色々な病院で治療を受けたけど効果はなく、睡眠療法を試みたところ、少女が心に大きな問題を抱えていたことが判明したわ。神童と呼ばれるくらい優秀だった少女は家族に期待されたのだけど、4年生になると同時に成績がガタ落ちに。家族や周囲の態度は一変し、そこから少女の苦悩と復讐が始まったの。

結局少女の首は完治したけど、その為には贄が必要だった・・・!彼女は己の欲望を満たす為に心まで後ろ向きになってしまったのよ。しかしながら、このお話は学校だけでなく会社や家庭でも置き換えられる話だわ。自分の能力が発揮できてるうちは誰もが賞賛し認めてくれる。しかしそこから転落し、仕事や地位やお金を失った時に助けてくれる人は殆どいない・・・実に悔しく悲しい事だけど、誰にでも起こりうる事ではあるものよ。

地に落ちて初めて人間の妬み嫉み、自責の念の洗礼を受け、最終的に死を見つめるようになる。でもそこから這い上がって来た者こそ今生に生きる権利があるのだ、と日野先生は私達読者に訴えかけている気がしてならない。本当の強さとは人に認めてもらうことでは無く、まずは自身を己が認めるところから始まるのではないだろうか。

その他にもエコロジーを訴えながら結局都会でしか生きられない事を悟った都会育ちの家族など、現代に警鐘を鳴らす作品が目白押し!もしかしたらこの作品すべてが先生自身を反映させているのでは無いか・・・と思わずにいられない。ただただ今自分が生きているという”事実”をリアルに受け止めさせられてしまった、というのが感想ね。煉獄に生きるためのバイブル・・・それが日野作品だ!

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2015年05月21日

本谷有希子日記 己に向かうベクトル編

20150517不思議なもので、”気になる本”って本の方から読み手を呼ぶのよね。この本もそう…本谷有希子の「腑抜けども 悲しみの愛を見せろ」

読み始めた当初は人物の描写がくどいほどに細かく、これまた三島由紀夫を思わせる部分も多かったけど、読み進めていくうちにその味の濃さは丁度良い加減になっていたから不思議よ。文章を書ける人というのは、料理同様その味わいの深さもさることながら、様々な味付けで小さく大きく変化をつけられるものなのね。

内容は両親の事故死により故郷の田舎に帰ってきた女優志願の美貌の姉と漫画を描く事で自分を表現する地味な妹、己を犠牲にしても家族の幸せを考える兄、一見愚鈍ではあるけど家族と愛を欲する兄嫁…4人それぞれの思惑が見え隠れし、やがてそのベクトルは己へと向かっていくという破滅的なストーリーよ。読み終えるとあまりのシンクロ率の高さに気分が悪くなったわ。

姉の美貌に比例するくらい並はずれた自己愛…それが理由で一家は追いつめられていくのだけど、結局それは姉自身が己を守るための唯一の武器だったの。女優としての才能がなくてもそれを認めず、ただ誰かが自分を導いてくれるのを待っている。それに対して根暗な妹はそんな姉の華やかさに惹かれつつ、彼女の負のエネルギーを糧にし自分の才能を花開かせてしまう。

果たしてどちらが”悪い”のかというとどちらも悪いし悪くもないのよ。

そんな彼女達の間でバランスをとっている兄嫁は愛する人を失ってしまうけど、最終的に勝者になるという実に皮肉な展開へ。

でも何故これ程この作品に惹かれたのかと考えてみると、妹の漫画に取り組む姿勢や考え方が自分に酷似していていたからだということが理解出来たわ。どんな辛く悲惨な状況も自分の作品にする…なんでもそうだけど、表現をする人にとって現実は格好の題材であることは間違いないのよね。どんな経験も己の糧にし、それをアウトプットするからこそ伝わるものは大きい。女優になりたい、ミュージシャンになりたい、自分の夢を叶えたい、そう考えている人こそ本書を読むべきかも。

読み進めていくうちに、著者の『現実は”こう”ですよ。思い知れ!』という嘲笑と『そこから”どう”やっていく?のし上がるの?』というエールが同時に鳴り響いてくるわ。本作は映画化されているけど、個人的に見てみたいとは思わないわ・・・なぜなら、この本を読んでしまった自分自身に己が向かってきてしまったから。さあ、この容赦ない1冊、是非お試しあれ。

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2015年05月19日

日野日出志日記4 地獄小僧編

20150515漫画家の日野日出志先生…彼はホラー漫画の重鎮と呼ばれているけど、ホラー作家というカテゴリーを超え、人間の生きる故の悲しみや苦しみ、そして生と死を深く描く"人間作家"と呼ぶべきかもしれない。

幼い頃、あまりにもインパクトのある先生の作品に圧倒され、自分の本棚にコレクション出来ずにいたけど、歳を経て先生と出会い画集を拝見し、その恐るべきエネルギーと哲学に衝撃を受けたわ。

グロテスクなビジュアルのキャラクター達は決して子供だましに誇張されているのでは無くその様相に至るまでの理由があり、何かの比喩であったり風刺だったりする。ようやく作品の本意を自分なりに理解出来るようになったからというもの、遂に日野先生の漫画を集める事にしたの。

しかしこの時代の作品は入手困難な物も多く少しずつネットや古本屋を当たることにしたのよ…今日は比較的手に入りやすい22年前刊行された「日野日出志選集・地獄の絵草紙(地獄小僧の巻)」を御紹介。

天才医師で地元の名家の主『円間(えんま)』は家族で外出中事故に遭い、愛息大雄(だいお)を失うの。悲しみに暮れる夫婦の前に突然一人の男が現れ息子を生き返らせる方法を告げていったわ…藁にもすがる思いでその恐ろしい方法を実践すると死んだ息子が蘇り、そこから円間一家の破滅が始まるの。

死者が生きた人間を食らう・・なんていうホラーにありがちな残虐な展開ははあれど、日野先生は"生の世界にこそ地獄がある"という事を訴えているのよ!…人間の偏見、驕り、執着・・・様々な念が今生を地獄絵図に変えている事を知っていながら我々はのうのうと生きているんだと気づかされるわ。

登場するキャラクター達のネーミングがコミカルで一歩間違えばライトな感覚の作品になってしまうけれど、そこはさすが日野作品・・・逆に各キャラクターの苦悩や悲哀などが色濃く浮き出ており重厚な内容にエッセンス的な役割を果たしているのが素晴らしい。

この本では単行本には収録されていないラストが追加されており前半の色々なシーンがコラージュされまるで映画のような演出になっているの…この部分で地獄小僧が背負う運命の重さや悲しみが表現され、心の奥底に鈍い感覚を突き立てられた感じ。これは子供には分からないでしょう・・・日野作品恐るべし!!

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2015年05月05日

桜庭一樹日記2 ポップとインモラルの狭間編

20150501以前六本木アカデミーヒルズで、いやに気になる本を発見。桜庭一樹著の「私の男」…タイトルから恋愛小説であろうという匂いはしたのだけど、期待通りあっけらかんとした内容ではなかったわ。

簡単に言うと、父と娘が親子という枠を超えお互いを求め慈しみ合うという禁忌的なストーリーではあるのだけど、これは彼らが"究極の血の繋がり"を欲した結果に過ぎないの。

身体的でもなく精神的でもなく、細胞レベルと言うべきか・・・これ程までに人間同士が深く繋がり合えることがあるのだろうかと、羨ましい気にさえなってくる。物語は6つのチャプターに分けられており、娘の視点、父の視点、父の元彼女の視点で描かれ、ストーリー自体が少しずつ逆行して構成されているのよ…各登場人物の心情を知る事で、より深くこの親子の心情の変化を理解することが出来るわ。

不思議な事に舞台は現代の日本のはずなのに、読み進めて行くうちに何だか現世ではない様な錯覚を覚えてしまう。9歳の時両親を事故で亡くした花は、27歳の淳悟に引き取られ、嫁ぐまでの10数年間奇妙な親子生活を送るの。実は本当に血のつながっていた2人は強い絆で結ばれ、自分たち以外に全く興味を持たなかった・・・しかし世間の"モラル"が彼らの関係を打ち壊そうと襲いかかり互いを守ろうとした親子は罪を犯してしまう。

幾つもの重い秘密をもった事で、本来ならドロドロの荒んだ状態になっても不思議ではないこの2人は、不思議なほど優雅にひっそりと、そして清々しく生きているのよ。どんな男女が訪れようとも自分たちの血に勝るはずが無い、という揺るぎない自信が自分たちの愛を貫かせている。これほどまでに人間同士が愛し合い、溶け合う事が出来るのだろうか・・・これはもはや、人類への挑戦と言っていいかもしれない。リアルであって夢物語、夢物語であってリアル・・・一種浮遊感を覚えるかも。

この不思議な小説は直木賞受賞で注目を集め2013年に遂に恐れていた映像化を果たしたわ。淳吾役に浅野忠信がキャスティングされたということでイメージ的には近いものはあれど、骨を折りその奥にある内臓まで食らわんばかりの貪るような愛情を理解し描ききれるのだろうか、という懸念は残るのよね。

この物語は決して興味本位のインモラルな恋愛ストーリーではないわ。人間としての本能を呼び起こされ試されるという事を覚悟して挑むべきね。生きるとは食らうこと・・・その一言に尽きるかも。

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2015年04月08日

どろろ日記 48ヶ所の優越感編

20150405「どろろ」といえば、手塚治虫作品の中で最高傑作といえるわ…戦国時代を背景に描かれた妖怪もの、というと何だか軽々しく聞こえてしまうけれど、1960年代にこれほどまでに重く強いメッセージ性をもつ作品が生まれていたなんて身震いしてしまう。

連載当時あまりの内容の暗さに打ち切られるという状況に陥りながらも、最終的にアニメ化に至ったわ。しかしながら、あの可愛らしい手塚タッチのキャラクター達が己と対峙し戦い続ける様は今なお読み手の心を捉えて放さない。

8年ほど前に人気俳優を起用して映画化されたけれど、VFXばかりがピックアップされ作品の主題は薄められてしまうという残念な結果になってしまったのよね。

物語は、天下を執ろうとする実の父の企てにより体の48カ所を魔物に奪われた少年・百鬼丸が、魔物を倒し己の体を取り戻すというものよ。ひょんな事で盗賊の子供・どろろを救い共に旅をすることになるのだけれど、どろろ自身不遇な身の上であるにも関わらず前向きで、その強さが百鬼丸を救ったと言えるかも。しかもどろろは女の子・・・「リボンの騎士」の如き甘い展開があるかも、という期待を匂わせながらも本編のテーマをどっしりと貫く手塚マジックには脱帽よ。

最大のテーマは「差別」…本当に恐ろしいのは魔物ではない。不自由な体を好奇の目で見たり蔑む「人間」こそが最も恐ろしい存在だと言うことを手塚先生は強く訴えている。人は必ず他人と自分を比較し、優越感や劣等感を抱くものよね。世間体を重んじ、普通というレールから外れてはいないか、より高い場所に登れているか、そんな事ばかりを考えてしまう。

自分自身も知らず知らずのうちにそんな状況に陥ることもあるし、特に日本に於いてはその傾向は強い気がしてならないわ。最終的に百鬼丸は完全に体を取り戻すのだけれど、彼の真の戦いはここから・・・!これまでの苦難を糧にして生身で世の中と渡り合う事こそが最も酷なことなのかもしれない。

改めて原作を読み返してみて、なんとも重くモヤモヤした気持ちになるというのは、まだまだ優越感を捨て切れていないから・・・?さてさて、このリトマス試験作品、是非皆さんもチャレンジしてみて下さい。

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2015年02月28日

太陽と花園日記 大正暗黒童話編

20150301数年前訪れた新橋の古本市で、ふと導かれるように手に取った「童話・太陽と花園」。最初はその装丁の美しさに惹かれたのだけど、童話と言っても子供向きのデザインではないのでもしかしたら・・・という直感が働き、即購入。その勘は見事に当たったわ。

丁度この頃自分がリリースした楽曲「赤い実」も童話ベースの世界観で作り込んだら面白いものが出来たので、次は大人の為の童話を制作しようと考えていたのよ。童話は子供のための寓話と思われがちだけど、さにあらず・・・人間に対する警告と考えるべきかもしれない。どの作品も深く、重いテーマを持っているわ。

この本は、大正10年に秋田雨雀という人が書いた作品なんだけど、とにかく強烈!

大正時代にこんなに内容の濃い本が出版されていたとは・・・いや、この時代だからこその自由な表現と言うべきかしらね。内容も然る事ながら、まず本の装丁が見事なの。菊の花の間からお釈迦様のようなポーズで現れる子供が独特の罫線で彩られ、どことなく手作り感満載なのが良い。

表紙の色合いも原色は用いられず、微妙な赤茶色がメインでアクセントに金が使われていてすごく粋なの。昔はこんなにも個性的な本ばかりが店頭に並んでいたとしたら、お洒落で本当に楽しいと思うわ。今はフルカラーで色も綺麗に出せる技術はあるけれど、逆にここまでの個性を出すことが出来るだろうか・・・。この時代は本屋さんはエンターテインメントの宝庫だったのでしょうね。

そして、本文に入る前の書き出しにこうあったわ。「童話は大人に読ませるのではなく、『大人が大人自身の子供の性質』に読ませるものである。」・・・この一文で、何故大人である自分が童話に惹かれるのかという理由がわかったのよ!人間は年を経る毎に"子供の部分の容量"はどんどん減少していくもの。最も無垢で重要なその部分があればこそ大人として飛躍出来る・・・言わば真っ白な部分は、跳び箱のジャンプ台的な役割ではないかしらね。そう気付いて全身に衝撃が走ったわ。これだけ感性の鋭い人物が描くストーリーは、すべて”ド”がつくくらいシニカル。童話独特の限られた少ない文字数の中で、様々な暗黒世界が展開していったわ。

同タイトルの「太陽と花園」は、父から土地を受け継いだだけの無力な男が畑に何を植えていいか分からず人の意見ばかりを受け入れ、結局は何の成果も出せずに途方に暮れるという話なのだけど、最後にその一部始終を見ていた太陽が『人間というのはどうして自分自身の考えを尊ばないんだろうね』と言うのよ。どこかで聞いた話じゃない?そう、現代の日本でも全く同じ事が言えるわ。

やはり昔から日本人のこの"流され性質"は少しも変わっていないのかしら。そんな人達に対して雨雀氏は苛立ちと危機感を感じていたからこそ、こんな作品が生まれたのかもしれない。しかしながら、これほどシンプルな内容でさらっと皮肉っておきながら最後はひと突きに刺す、というやり口にはただただ天晴れ!だわ。今改めて童話を読んでみると、自分の立ち位置や気持ちが良く理解出来る気がする。果たしてその時に爽快感を覚えるのか、焦燥感を感じるのか、心のリトマス試験紙として試してみてはいかがかしら?

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2015年02月16日

三島由紀夫日記4 「禁色」の究極退廃的美学編

20150214数ある三島作品の中で最高傑作を挙げるとすれば、迷わず「禁色」と答えるわ…文庫本で580ページという大作で、昭和26年に連載されてからというもの、そのセンセーショナルな内容から文壇界では”否定的な口吻というより理解の埒外”という感想が飛び交う程の問題作品だったそうよ。

確かにこの時代にこんな作品を発表するなんてサイバー的とでもいうべきか・・・しかし時代が追いついてからというもの、今作は三島文学の金字塔的作品であるとようやく世間が認めたわ。

個人的に彼の作品に惹かれる理由は、読者に対してどこまでも挑戦的であるということ、レントゲンを通す以上に人間の内部を見ていること、そして何より想像を超越するエンタテイメントであるからなのだけど「禁色」に於いては麻薬のような中毒性があり、何度読んでも新たな発見と愉しさが湧き上がってくるから・・・やめられない!

内容は簡単に言ってしまうと、醜く老いた著名な作家、檜俊輔が絶世の美青年”悠一”を使って自分を欺いた女性に報復しようと企むのだけど、悠一が己のセクシャルに開眼してからは周囲は彼に惑わされ、俊輔自身も彼の虜になっていたことに気付くの。

老いていく自分の醜悪さに嫌気を感じつつ美を求め続ける老作家、美青年を愛するあまり子供の様な振る舞いをする元侯爵とその妻、夫の本質に気付きつつも母性で強く成長していく美青年の新妻…登場人物は誰も彼も、美しき悠一の愛情を得ようと片端になってしまった。その原因であるアドニスは徐々に自己愛に目覚め、結果的には本当の意味で自由を手に入れたわ。この作品のテーマは「老いと美への執着」であり「美が導き出す解放」なのではないかと思う。

三島作品の殆どは美に対して呪いのような執念を感じるのだけど、それは彼自身の追い求めてきた人生のテーマになぞらえているからなのかも。本編を読み進めていくと、性別に関係なく美しい人は美しい、でもそれは時間という条件がついているからこそ成立するものであり、美しさは汚れていく過程で更に研ぎ澄まされていくのだと気付かされるわ。

「禁色」に登場する女性は必ず酷な目に遭うのだけれど、最終的に自分の行くべき方向を見極められる精神的に"自立した”アマゾネスばかりなのよね。これはもしや女性に対する三島風エールなのか・・・それとも償いなのか。作者の思想をふまえた上で更に想像、いや妄想は膨らんでいくわ。

魅力的な女性陣の中で最も注目したいのは、悠一の美しさに一目惚れした元公爵夫人ね。彼女は聡明で美しいけれど、公爵家の威厳を保つために夫と共謀して美人局をしていたの。常に商品として自分を磨きポーカーフェイスを保っていたけれど、悠一に恋してからはそんな偽りの自分を保てなくなってしまったわ。やがて夫が悠一と関係を結んでいる事を知りショックを受けるけれど、裕一が窮地に立たされた際には、最も頼もしい友人として救いの手を差し伸べるという男前な一面を持ちあわせているのよ。

悠一と肉体的には結ばれずとも、精神的には最も強く結ばれた相手と言えるわ。彼女もまた悠一の美によって己を解放できたひとりなのよ。本当はひとりずつ解説していきたいところだけど、彼女ひとりとってもその背景が複雑・・・機会があればじっくりお話したいわ。ページ数が多い分、今作は特に登場人物達の心の推移が丁寧に描かれている上、複雑に絡み合って面白い。読む度にどの人物に自分をシンクロさせるかで楽しみ方が変わってくる、まるでロールプレイングゲームよ。

三島氏はキャラクターを息づかせる天才ではあるけれど、実話ベースと言って良いほどの細密な描写に全員モデルがいるのではないか、という考えは拭い去れない。今でこそ同性愛に対してオープンになってきたけれど、この時代に自身のセクシャルを露呈し、果敢に世の中に挑んだ作者の覚悟とパワーにはただただ敬服するばかり・・・。やはり作品とは己を削って生み出すものなのだと思い知らされたわ。この作品に初めて触れた初代腐女子達は、果たして何をインプットしたのかしらね・・・そして次の世代は何をアウトプットするのかしら・・・。

因みに上記の写真は海外版の表紙なのだけれど、見事に内容を表現しているのでこちらをチョイスしたわ。作品同様表紙もそれにふさわしいものを用意して欲しいものよね・・・これは禁書ではないのだから。

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2015年02月10日

三島由紀夫日記3 永すぎた春編

20150209三島作品の中でも異質と呼べる作品のひとつ「永すぎた春」…個人的に彼の作品に惹かれる理由は、その文面から宵闇のような色合いと重厚でどろっとした味わいを楽しめるからなのだけど、今作はやわらかな日差しとちょっぴり塩気の効いたお菓子を頂いたときの様な爽やかさを感じるの。

毎回三島氏のレンジの広さには驚かされるけれど、一般的な題材ながら程よいアクがあって読み応えは十分よ。

人物描写が見事で、行を追う毎に映像が見えてくるわ。今回はタイトルからもわかるように、これから結婚をする若い2人が主人公なのよ。美しくて賢い古本屋の娘、百子と裕福な家庭の法学部の学生、郁雄は家柄の違いを乗越えて結婚する日を指折り数えてたの。

結婚するまでは清い関係を保とうとする彼らの前に現れた、悩ましい年上の女性やプレーボーイの青年。その上百子の兄の婚約者の母や、誇り高く口うるさい郁雄の母の騒動が続いて、2人は破談の危機に・・・。世間知らずの2人は様々な困難に立ち向かいながら成長していく、というストーリーなのだけど、この”渡る世間”的なソープディッシュが実にテンポ良く、あっという間に引き込まれていってしまう。

世間知らずの2人が結婚までの期間を楽しんでいる間、それをからかいたがる人間は少なくないわ。そんな欲の隙間に生まれた闇にのまれるか否かは当の本人達次第・・・しかし、郁雄だけがのまれかけてしまった。登場する女性陣は実に強烈、各々の存在がガッチリ確立されており魅力的なので仕方が無いかもしれないけれど・・・。

郁雄が惑わされた女性は感性が鋭くビジュアルも個性的で、百子とは全く正反対のタイプ。彼女の部屋が”郁雄が存在する事で完成される絵の具の乾かない絵"と表現され、いかに郁雄が彼女のアクセサリー的な存在かということがわかる。郁雄自身もその空間で"自分が愛玩される花瓶か何かに変貌してゆく無気力な快感"を味わったというから、この比喩から妖艶な女性に翻弄される若い青年の悦びが読み取れるわ。

そして勉強に集中してなかなか会えない婚約者の事を思い、気分を紛らわそうと仕事をする百子が「あの人は勉強、私は仕事…これで釣り合いが取れる。でもこんな対抗意識が強くて良い奥さんになれるだろうか」と思う場面では、彼女の芯の強さを垣間が見えたのと同時にこの考え方が自分に酷似しているのでゾッとしたわ。

この物語の背景は昭和30年代、女性の奥ゆかしさが尊ばれていた時代にも関わらず男性と対等でありたいと思う心意気は爽快ね。しかし若い2人の成長を最も促したのは、百子の兄の婚約者の母親よ。彼女の存在があったからこそ彼らは生きる事の厳しさと哀しさを知る事が出来たのよ。

母親は幼い頃から貧しく、自分の娘が老舗の本屋に嫁ぐと知り喜ぶもその幸福に嫉妬し百子の恵まれた境遇に嫉妬するという、外面も内面も”真の貧乏”なの。温室育ちの若者たちにはかなりの試練となったけれど、彼女のまき散らす毒が若い2人の予防接種になったことは間違いない。悪女ではあるけれど、個人的にはこの母親が最も人間臭くて気に入っているの。更に彼女と相反する位置に立つ郁雄の母親も興味深く、主役の2人よりもバイプレイヤーの女性達の存在感には圧倒よ。

巧みな三島節により中核の2人とそれぞれのキャラクターのバランスは完璧…フルコース料理でそれぞれのお皿を楽しんだあと、満腹感に微睡むといった感覚に酷似しているわ。こんなありふれたテーマでもセンセーショナルに描いてしまうのはさすが!よ。

どんなカップルも多難を乗り越え結婚というゴールを迎えるわけだけど、それはほんの始まりに過ぎないもの…本当の春を感じるのは永い時間をかけてからなのかもしれないわね。

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2015年02月03日

三島由紀夫日記2 「鍵のかかる部屋」は秩序を保つための無秩序編

20150202一度読んだぐらいでは到底真意を掴めない、読者に挑戦状を叩き付ける・・・そういう作品は実に魅力的であるわね。三島作品の中でも「鍵のかかる部屋」はそんな1作に挙げられるかもしれない。

年の差がある男女間の恋愛小説なんて腐るほどあるけど、三島氏はこの作品で新たな魔性の女を誕生させたわ。物語は、戦後間もない日本を舞台なの。

財務省に勤めるエリート官吏の一雄はある女性と親しくなり、彼女の家の鍵の掛かる部屋で秘密を共有していけど、持病の発作で突然死してしまう。やがて9歳になる女の娘"房子"は彼に懐き、やがて鍵の掛かる部屋で2人は新たな楽しい時間を過ごすのだが・・・というなんともスキャンダラスでミステリアスなストーリーよ。

魔性というのは、この9歳の房子の事なの。母親が色々な男性を招き入れるのを側で見ていたせいか、はたまた天性なのか、男性に媚びるという事を本能で理解してるのよ。物語の後半では、小さくて可愛いかった少女が初潮を迎え”女へ変化”する様が「今まで乾いていた唇さえも潤い光り出す」という描写で表現されていてゾッとしたわ。

しかも一雄と初めて出会ったときも、自分を可愛らしく見せたいが為に微笑の歯を見せたり、片手でスカートをまくり上げ赤い靴下留めを片手でピチッピチッと鳴らすなど、天性のコケットぶりを発揮しているの。時に、子供の無意識の行動は大人を動揺させるけれど、そこに艶めかしさを感じてしまうというのはちょっぴり変質的というか・・・理解しがたいものがあるわね。

一方、一雄は常に日常や仕事に対して無意識を心がけ己の内なる世界で生きていたのだけど、房子と親しくなってからは彼女を意識し内なる世界だけに生きられなくなってしまうの。その葛藤からか、彼は自分の夢の中で『誓約の酒場』という場所に訪れるようになったわ。

そこを訪れる者は皆、己の素直な感情を告白するというルールがあるのよ。ある男は少女を絞った血の酒を勧め、ある男は女の体中に洋服を着たような入れ墨を入れさせ、買い与えたコンパクトを肉を裂いて作ったポケットに入れさせたりと、サディスティックな欲望を話す事で現実世界での常識的な自分を保っているの。しかしよくもまあ、これほど残虐なアイディアが出てくるものだと、文章を通して三島氏の耽美主義を感じずにはいられないわ。

「鍵のかかる部屋」は女性の狡猾さと血なまぐさがドロリと描かれて、女であることに嫌悪感を抱いてしまうほどなの。本編を読み終えると、最もノーマルなのは一雄を誘惑して家に招き入れた女性で、最もアブノーマルなのは房子の面倒をみているお手伝いのしげやだという事に気付くわ。しげやは肥った、髪の薄い真っ白な蛆のような女と2度も同じ描写をされているのだけれど、もしかしたら三島氏は彼女を一雄や房子の淫蕩さを糧に巣くう蛆、と表現したかったのではないだろうかと思える。いずれにせよ、女であることの浅ましさが見事に描かれていることは間違いない。

人と人が関わり合いを持つ以上、何かしら感情や行動が生まれるのは当然。時には感情を抑え笑顔で秩序を保たなくてはいけないことも沢山あるわね。自分がコントロール不能になる前に、人間の最高機能である"想像力"を駆使してこの世の秩序を保っている人も多いはず・・・。一雄がこの秩序を守れたかどうかは結末を読んでからのお楽しみだけど、皆さんはどんな方法で無秩序を楽しんでいるのかしら・・?

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2015年01月29日

あしたのジョー日記 人生のバイブル、あしたはどっちだ!?編

20150123自分が今迄影響を受けた本は多々あれど、"人生のバイブル"ともいうべき作品といえば「あしたのジョー」ね。日本人なら知らない人はいないと言っていい程有名な作品だわ。

残念ながらテレビ放映時は生まれておらず、一度も視聴せず終了。初めて目にしたのは、社会に出てから復刻版の本を読んだ時よ。もしも子供の頃にこの漫画を読んでいたら、作品の根底に有る部分を理解出来ず只の"スポ根漫画"だと思ったかもしれない。山谷のドヤ街、少年鑑別所・・・気の向くまま何の目的も持たず生きてきたジョーは、拳闘に出会い戦う事で己の存在理由を見いだすのだけど、その執念は本当に凄まじい。ここまでひとつの事に人生を懸けられるというのは、彼は本当に「生きて」いたのね。

寝ても覚めてもライバル"力石"に勝とうとする姿は、究極の愛情というべきかもしれないわ。これほどまでに人と人とが深く関わり合えるというのは、人間関係が希薄になっている現代では考えられない。憧憬、敵対、向上心、執念、理解・・・彼らの間には様々な感情が生まれたけれど、上辺だけ付合い損得で動く人が多い中、ジョーや力石の様にお互いを認め合い”魂を通じて"付き合える人がいるだろうか・・・と考えてしまう。

自分自身道に迷うと1巻から順に読んで行くのだけど、読み終えた時必ず「生きるという事は常に真剣勝負であり、その中で物事の本質というものが見えてくる」という事を教えられるの。

この作品が今でもずっと読み伝えられている理由のひとつは、根性を以て人生に挑んでいこう!という安っぽい標語のようなテーマなのではなく、読者自身が自分をジョーになぞらえて、消えいりそうな情熱の種を再び燃え立たせる事が出来るからなのかもしれない。今作についてはまだまだ書きたい事があるので、改めてご紹介するわね。

しかしながら、この時代の作品は本当に人々が活き活きと生きている。笑い、泣き、怒り、表現を露わにしているのよね。それだけでも救われる気がするのは、今が味気ないからなのか・・・さて、「あしたのために」を1巻から読み直そう。

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2015年01月28日

マンガ黄金時代日記 人間臭さと個性の衝突編

20150124漫画が"生もの"として特に息づいていたのは、60~70年代ではないかしらね。

その時代の作品を集めようとすると時間もお金もかかってしまうけれど、素敵なオムニバス本をオークションで見つけたの…その名も「マンガ黄金時代 60年代傑作集」よ!!

手塚治虫、つげ義春、石ノ森章太郎は勿論、マニアックな作家の作品がズラリ…内容も時代を反映したものから、シュールなものまで読みごたえ抜群。

特に気になったのは楠勝平氏の「おせん」という作品。

家族の為に朝晩働き、貧乏長屋で暮らす"おせん"は気っぷが良くて明るい町娘。大工の"安"はそんな彼女の優しさに魅かれ、自分の気持ちを伝える為家に呼ぶのよ。実は安の実家は大金持ち・・しかし、事態が飲み込めずはしゃぐおせんはふとした事から部屋にあった高価な花瓶を割ってしまい、弁償できない恐怖から「私じゃない!」と叫んで逃げてしまう。

安はそんな彼女の態度に激怒するの。でも彼の父親は『おせんの行動は彼女の本質でなく、貧しさからきたものなのだから理解しろ』と諭したわ。幼い頃から苦労知らずに育ってきた安に、おせんの行動は理解できなかったのよ。雨の中、おせんは安の後ろ姿を見ながら涙する・・・というストーリーよ。

話自体はシンプルだけれど、シンプルであればあるほど難しいものよね。人の心の描写が実にお見事で、お金を巡り育った環境や考え方の相違がこれほどリアルに描かれているなんて、本当に良い時代だったのだなと痛感。今の時代だと差別だの、派手さが足りないなどと出版に持ち込むことすら難しいかもしれないもの。

どの作品も「誰誰風」などと画風が被るものはひとつも存在せず、内容もキャラクターの個性も主張しあって暑苦しいくらいよ!これだけの密度の高い作品が生まれ続けた60年代・・諸先輩方の挑戦にどう立ち向かうべきか、あとに続く私達は方向でさえ見失っているような気がするわ。

紙面から漂うインクの香りは人間くささそのもの・・・さて、PCの画面からもその匂いを漂わせることは出来るのかしら?

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2014年12月22日

池田理代子日記3 クロディーヌ…既成概念を超えた愛編

20141220子供の頃読んだ漫画を大人になってから読むと、感じ方が全く違うと思った事は無い?…このブログでは常連になりつつある、池田理代子先生の1978年作品「クロディーヌ・・!」は、今なお心にずっしり訴えるものが有るわ。

今から30年も前に描かれたのだけど、"トランスセクシャル"を題材にしたものなのよ。今でこそ世間の性同一性障害への認識は高まっているけど、この時代に取り上げるというのはかなりの気合いだったと思うし、出版社側にとっても挑戦だったのではないかしら。

物語も実に凝っているわ。ある裕福な家庭に生まれたクロディーヌは敬愛する父に習い、勉学、教養すべてパーフェクトで聡明な女の子なの。ただ自分が女性であるという事に違和感を抱いていたので常に男性的な身なりや振る舞いをしていたわ。

そんなある日、彼女は新しく来たメイドの女の子に恋を・・・でもその恋は母によって阻止され、カウンセリングを受けるという結果に。その後大学生になったクロディーヌは1人の少女と運命的な恋をし、遂にその恋は実るのだけど、愛しい彼女は自分の兄と結ばれる事になってしまったの。精神的な繋がりは肉体を超えると思っていたのに・・・クロディーヌの悲しみは深く、ある決断をする事にしたのよ。

表面だけで読むと一見ドロドロで昼ドラも真っ青な展開になってるけど、心と体のバランスが取れずに苦しみながらも心から"人を愛する"クロディーヌの生き様には一点の曇りもない。読んでいくうち、自分はここまで人を愛する事が果たして出来るだろうかと自問自答してしまったわ。

エンディングで、精神科医は彼女の記録にこう書き込んでいるの。

「真の男性でさえ、かくは深くひとりの女性を愛せなかったであろう」と。偏見と戦い自分と戦い、溢れる愛を人に与えるクロディーヌ。彼女はこの世に遣わされた天使そのものかもしれない・・・そう思えるのは自分が人を愛する喜びや苦しみを少しは理解出来るようになったからかしら?

性別の枠を超え、人を思うパワーというものは本当に強く儚いもの。タイトルの「・・・!」という部分に作者のそんな強い意思を感じずにはいられないわ。もしもあなたに愛する人がいたなら、是非一度読んでみて。


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2014年12月21日

トルーマン・カポーティ日記2 未完の退廃…編

20141212トルーマン・カポーティの遺作「叶えられた祈り」を"取り敢えず"読破。でも、この作品を読んでいた時の心情が最悪だったせいか、カポーティをどう受け止めたらいいか分からなかったというのが正直な感想ね。半ば攻撃的に読んでしまった・・そんな気がするわ。

ブログで紹介した大作「冷血」を書き終えた後、カポーティは未完のこの作品を残し急逝したのだけど、発表当時かなりのバッシングがあったそうよ。

それもそのはず、彼は作品中で自分の上流階級の"友人たち"のプライベートを面白おかしく書立ててしまったからなの。

P・B・ジョーンズという名の美しい小説家志望の少年が己の体と話術を駆使して、上流社会という名の偽りで彩られた世界に身を置くというストーリーなのだけど、言うまでもなくジョーンズはトルーマン自身よ。華やかで美しい人達に囲まれ、その光の恩恵を受けながらも自ら光り輝く事の出来ないジレンマ・・・そのあまりにも身勝手で自己中心的な文章からは、汚れ切ってしまった彼の心の奥底に沈む悲しみが見え隠れしている。まさに拭いようもない不安を自負と恍惚でオブラートしている、という感じかしら。

冒頭で「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りの上により多くの涙が流される」という聖テレサの言葉が引用されているのだけど、個人的には「叶えられなかったことは空想の中で楽しめるが、叶えられた事で悲しく辛い思いをする事は多い」と解釈したの。

P・Bことカポーティは小説家として成功したものの、傑作を生み出さなくてはというプレッシャーや、友人達の信頼の喪失、己の在り方に常に苦しんでいたのではないかしら・・。

ここまで自分を赤裸々に、いや剥き出しにして血だらけにしたカポーティ・・あなた自身が本当に素晴らしい作品であった事は間違いないわ。もうこれ以上傷つく事なく、ゆっくり休んで下さいね。もう少し時間をかけてあなたの天の邪鬼な気質を受け止められるようになったら、再度チャレンジさせてもらいます!

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