2016年09月
2016年09月28日
ヘヴィメタ日記 重低音カタルシスへ編

最近アメリカ心理学会の調査によると、このジャンルの曲を聴くことが「人の死や人間が死ぬ運命に向き合う助けになる」ということがわかったんですって!
この研究は30人の被験者を対象に心理的な質問をする前にSLAYERの「Angel of Death」の音源を聞かせて行われたそうよ。
報告書によるとヘヴィメタファン以外はやはりこのジャンルを死について演奏していると思われている節が多い…しかしメタルを聞くと鬱屈した気分や死に関する考えから逃避できる助けになるのだとか…もともと恐怖管理論によれば自尊心と文化的な世界観というふたつの緩衡システムが死への恐れを緩和する働きを構成している為、ヘヴィメタルは文化的なアイテムとして影響しているという事になるわね。
確かにメタルファンにとってこの音楽は文化的なアイテムである事は間違いないから社会的な自己形成にも大いに役立っているのかもしれないわ。
更なる実験で潜在的な測定器を使いヘヴィメタが死の苦悩に対し文化的な世界観を与えることが出来るのか測定したところ、メタルファンは文化的な世界観を一定以上与える必要が無く、更に自尊心を奮い立たせる必要は全く無かったそうよ…でもファンではない人達は自尊心がまだまだ足りないという結果に。
被験者の数が少ないのは置いておいて、こういった結果からメタラー達は死への耐性がついており苦悩からの立ち直りが早いという結論に達したわ。
ダークでヘヴィなメタルを聞けばその世界にどっぷりと浸かり己の暗黒面と向き合う事が出来る…しかしその後現実世界に戻って如何に生きていくことが自分にとって良いのかを考える、つまりカタルシスが起こるという事なのよ。
個人的にも長年音楽を続けていく意味を考え続け、ようやく導き出した回答が感情の浄化であり、まさにこの実験と同じ結果だったわ。
メタルに興味の無い人にとっては理解しがたいことだろうけれどイライラしたときに大音量で音楽を聞いたり、恋愛中にメロウな曲を聞いたりして感情をコントロールするという事と同じかもしれないわね…さて、今日もメタリカの「フランティック」でも聞いて気分転換しようかしら・・・。
2016年09月26日
名言日記 さすが、恭子様!!編

”生きるPoser”とも言うべき人間離れしたルックスは、女子力という言葉を超え人間力の高さを体現していると言って良いかも…そんな叶姉妹の姉、恭子さんの造詣の深さには驚かされることが多いけれど彼女が自身のブログで発信する言葉も名言が多いわ。
アンケートによる「恭子さんの名言ランキング」では、なるほど心を打たれる言葉が多かったのでご紹介。
1位は「不可能なことを可能にする。しかし、その逆があってはならない」人生は常に挑戦の連続・・・新しい事に挑戦し自分の可能性を広げていくのは重要な事だわ…今できることをやらないという事はその可能性すら失うことに等しいかも。更にこれまで出来ていた事を怠ってしまえば、出来るようになるまで又時間がかかってしまうという意味にもとれる。前進する事は大事だけど、まず足元の可能性も継続しステップアップの布石とするべきかもね。
続いて2位は「何をするかは大事だが、何をしないかも大事」これまた、なるほどと気付かされる言葉だわ…日々何か積み重ねていかないと不安になってしまうけれど、ただがむしゃらに行動するのが必ずしも良いこととは限らないのよね…敢えて待ったり何もせずリラックスする事こそ必要だったりする。自分はいつも焦ってしまうのでオンオフの切替がうまく出来ないまま時間を無駄にしてしまうので、この言葉は刺さる。
3位は「あなたはあなたであって他の誰でもない。あなたにしか実現できない幸せを生きる為には『自分は人と違う』からスタートするしかない」ここで納得したのは自分にしか実現できない幸せを生きるという点ね…人によっては恋愛や結婚、お金や出世と自分の思い描く幸せは様々・・・たまに会う会社勤務や家族持ちの友人に会った時違和感を感じ自分の生き方に少し疑問を抱く時もあったけれど、今では自分の人生に自信を持てるようになったの…人と比較するとお隣の芝生は青く見える時もあるけれど、まずは自分の芝生を美しくしたいものよね。
でも恭子さんの言葉で共感できたのは10位の「見せかけの友人を100人得るより、たった自分一人でも満ち足りた時間を持てる方が100倍大切」…私は友人は多い方では無いし、仕事柄こんなに友人が少なくていいのかと悩んだときもあったけれど無理に合わない人と付き合う必要も無いし、傷の舐め合いのような疑似友情は向上心を失ってしまう…ただ愚痴を言う様な飲み会に参加するなら静かに本を読んでいる方が楽しいし自分の残りの人生の動力にもなるものね。
以前未発表曲で「ともだち」という曲を創ったのだけど、まさにこの名言に通じるテーマだったわ…アーティストたるものどんな苦難も失敗も作品にしてしまうのは職業病、なれど恭子さんも人知れず数々の苦難を乗り越えてきたからこその名言なのではないかしら…素敵です!!
2016年09月23日
スーサイド・スクワッド日記 最強にして最凶クイン!!編

正直アメコミで描かれる彼女にはさほど魅力を感じずジョーカーの横でいつもマスコット的に存在するイメージしかなかったわ…しかし・・・マーゴット嬢演じるハーレーは超ド級のキュート・クイン!!このビジュアルに敵うものなし!!という事で「スーサイド・スクワッド」をツインテールで見にいったわよ。
興行的にも大成功をおさめたこの作品、やはりひとえにマーゴット嬢のキャステイングが大きな勝因であると痛感…物語はアメリカ政府がスーパーマンのスーパーパワーに危惧感を抱いていた頃、突然地下鉄で凶悪なテロ行為が発生。その原因となったのは古代の邪悪な力を持つ魔女エンチャントレス・・・実は政府はその魔力を封じめ利用しており、彼女はその復讐から人類を滅亡させる機会を窺っていたの。
そんな並外れた敵に対抗するには毒を以て毒を制すしかない!!という事で、ベール・レブ刑務所に服役中の極悪犯罪人達が招集されチームを組むことになったのよ…彼らは首に爆弾を埋められ逃亡すれば死、任務を全うできれば減刑という条件で最も危険なミッションに挑むことに。
悪名高きジョーカーの恋人であるハーレイ、娘を愛する父であり強力なスナイパーのデッドショットを中心に、自分の体から炎を出す殺し屋ディアブロ、は虫類の硬い肌を持つキラー・クロック、そして斬った人間の魂を奪う日本刀を武器に戦う志願兵女性カタナなど総勢7人の奇妙な最凶チームが誕生したわ。
悪党がヒーローという視点は大変面白く、どのキャラもそれぞれに濃い・・・けれどやはりどうしても女性陣に目が行ってしまうし男子陣のビジュアルが濃ければ濃いほど人の良さが滲み出て、狙いとしては大成功よ!!
個人的には政府の秘密機関の責任者アマンダを演じた「ヘルプ」でもその存在感をアピールしたヴィオラ・ディヴィスの冷血ぶりがお見事だったわ…しかしながらやはりマーゴット版クインは最高すぎ!!…自分の手荷物を渡され着替えるシーンは何度もトレイラーでアップされていたけれど、その前に鞄を開けて「キャー」と嬉しそうに声を発し着替えを探すシーンが彼女らしさを物語っていて良い。
更に愛するジョーカーを「プリン」と呼び、彼のロゴで作ったチョーカー(シャレじゃないです)を身につけた時、そして彼が死んだと思い悲しく外すシーン・・・ここでも彼女の素直な感情が嫌味無く伝わるのが良かったわ…ジョーカーに再会した時の喜びの表情は瞬殺レベルのときめきでした・・・。
素晴らしいと思う点は多々あれど”直球な思いを表現する”という事が、これほどまでに心を打つものなのだという思い知らされ感動したわ…下手な役者がそれをやれば劇団ひまわりの子役になる可能性は大きい…しかしクインがどんなにぶっ飛んだ性格であったとしても如何にジョーカーを心から愛しているか、彼との時間がどんなに彼女を輝かせているかというこれまでの背景を掘り下げられていたからこその”直球”なのよね・・・お見事。

と、まあ正気を失うほどのキュートさですが、日本人としてはカタナ女史にも注目…彼女のミステリアスな雰囲気は物語に更なる華を添えていたけれど、最終決戦を前に自分の刀に蕩々と語りかけるシーンは不要だったかも。ただ仮面を取り刀を見つめる彼女の表情と、その背後で他のメンバーが彼女の過去について少しだけ語ればそれで十分だったのになと惜しい感が否めないのよね。
そして最大の注目はやはりクインの彼氏ジョーカー…どうしても演技派ヒース・レジャーと比較されてしまうけれど、ジャレッド・レト版は今作に非常にふさわしいビジュアルで、クインとの男雛女雛ツーショットは最高…ジョーカーは人類の危機云々に興味は無く自分の彼女をどう救い出すかという視点でしか行動していないというのが実に良いのよね。そういったコミカルな部分と、悪党ははなから悪なのでなく人間らしさ故に悪へシフトせざるを得ないというシリアスな部分が押しつけがましくなく描かれているのが素晴らしいわ。
でも最も印象に残っているのは、悪の女神エンチャントレスの儀式的なダンス・・・だったりするかも…選曲も王道ながら効果的でテーマにぴったりだし今年最もホットなラブ・ロマンスを楽しみたい人には自信を持ってお薦め!!
2016年09月20日
ソーセージ・パーティ日記1 R指定は本物だった編

当時の1位はかの「スーサイド・スクワッド」だったから制作規模や宣伝量を考慮すると実質の1位と言っても過言ではない作品よ。
驚くのはそのキャラクターの映像表現…R指定だから何やら過激な表現だけかと思いきや、そのキャラ自身が危なすぎて危なすぎて驚き
だって、ソーセージはそのものズバリ男子のあそこだし、お相手のバンズはイヤ~んって感じなあそこだし・・・一体全体何が始まるのか予想できないこのCGアニメ。
お話はスーパーに置かれてる食材が擬人化されていて、人間様に買われるのは光栄な事(ソーセージはパンと一つになって夢心地)と思ってるのだけど、お家に行ったら一転そこはホラーな世界になっていくのよ。日常的な料理法が食材にとっては残虐極まりないスプラッタに・・・
どうやら食材達は何とか脱出して、スーパーの食材達に真実を伝え団結して闘いが始まるのよね…このお話をどうまとめるのかは本編を見てのお楽しみだけど、重要な見所いや聞き所があるわ…なんと、ちょっとエロいバンズの声をあててるのがなんと「ブライズメイズ」や「ゴーストバスターズ」で物理学博士エリンを演じていたクリステン・ウィグなの。
「ゴーストバスターズ」でも書いたけれど、クリステン・ウィグ独特の優しいお顔立ちでお下品なしゃべりは実はネイティブに大人気で、同作品ではその部分が忠実に翻訳されず普通の訳になってしまったのが残念だったのよね。今作ではビジュアルがアレだし声優としての出演なので完璧なマッチングで大受けだっただろうと予測できるわ。
今日の予告編はその中でもRED BAND版…後半には名作「プライベートライアン」の冒頭シーンが(汗;)…大人の世界ね。日本公開が危ぶまれたけれどSONY Pが『ご期待にこたえて配給いたします』とのことで11月4日から公開決定…勿論R+15指定の子供は見ちゃダメ・フォーマットで…大人が楽しむアニメとしては最高だわ!!…是非お隣の奥様も誘って皆さんで堪能いたしましょう…フフ。
2016年09月17日
サウスパーク日記1 ケニーは102回死んでいる!!編

今年9月で遂にシーズン20開始という事で1997年の放送から19年という大人気長寿アニメとなったわ。
物語はコロラド州にある小さな町サウスパークを舞台に、緊張すると嘔吐するスタン、ユダヤ人のカイル、おデブのカートマン、貧乏でいつもフードをスッポリ被ったケニーの4人の少年が様々な騒動に巻き込まれるストーリーでブラックジョークてんこ盛りの過激なコメディ・アニメよ。
その内容もさることながら、切り絵のような作風・原作・脚本・作画や音楽をトレイ・パーカーとマット・ストーンの2人でこなしている点など自分のPODCAST「ピポ子のPIPOPIPO TV」と共通する点も多いので更に親しみが深いのよね。
しかしこれほど長い間継続しているというのは本当に素晴らしい…19年の間に樹立された記録も素晴らしく、世界130国で30ヶ国語に翻訳されており、放送エピソードは267話!!キャラクター総数1714名、2015年の放送時間だけで46億分というのもビックリよ。
更に喧嘩の回数は200回、カートマンの脱糞数は49回、スタンが嘔吐した数は84回、登場した有名人は283人と制作者2人の映画好きには唸らされるわ…そして何よりケニーの死んだ数は102回というから、その数にもビックリよ…彼の死はお馴染みはあるけれど毎回無残に命を落とすシーンは何とも呆気なくシュールだわ。
個人的には兵器として開発されたタオルの「タオリー」がお気に入りで、水に関連する事を話すと突然現れたりジャンキーだったりと、そのハチャメチャ且つキュートなビジュアルには毎回やられっぱなし。
カニエ・ウエストとゲイ魚というのも大爆笑だけど、毎回これだけのストーリーとキャラクターを生み出すパワーには恐れ入ります!!のひと言!!
トレイとマットが普段から如何に様々なものにアンテナを張り巡らしているか、そういった部分が見え隠れしてクリエーターとしても学ぶべき点は多い…今後も更なる記録を更新することは間違いないけれど、どうかこのクオリティを保ちつつ30、40年と継続してもらいたいものね・・・!!
2016年09月15日
悪筆日記 天才ほど字は汚い!?編

実際は勉強が出来る子供には2種類のタイプが有り、粒ぞろいの綺麗な字を書く秀才、本人しか読めないような謎の字を書く天才なんですって。
元々日本では字は美意識と教養の高さの象徴であり悪筆は恥ずべき事であるという教育が未だ根強い…そういう点から考えると、字が綺麗で机の上も綺麗な優等生は先生からの評価も高く自分のセールスポイントを他者に向けて可視化させることが出来るプレゼン能力が高いという事になる。
一方字は汚く散らかしっぱなしでいつも物思いに耽る問題児は自分の能力を可視化していない為、ただ面倒でだらしないという印象を与えてしまうわ。
悪筆と言われてしまうのは自分しか読めないような字を書いているだけに過ぎず、これは溢れるアイディアや言葉が追いつかず、ノート自体人が見る為の記録では無く自分の思考ツールと考えているからなのよね…しかも勉強は自分の為であって評価されたい訳でなく考える事自体が楽しいと思える脳をもちあわせているから無敵よ。
天才と言われる人ほど字が汚いというのはなるほど納得ね…美文字の秀才が秀才で留まってしまうのは、教養や美意識を追求する中に”他人からの評価”が拭いされないからかも…海外では字の美しさにさほど価値観をおかず内容を重視するケースの方が多いらしいわ。
ルックスより中身・・・これはどんな世界にも当てはまることで音楽なら綺麗な譜面をきちんと演奏する事が素晴らしいか、といわれればそういうものでもないし計算されたような正確な線こそが絵画の極み、と言われればそうでもないもの…クリエイティブになればなるほどユニークになったり逸脱していくのは当然のことだわ。
日本では美文字は大人のたしなみであり綺麗な字を書くことはスキルや美徳に繋がることなれど、そこばかりに重きを置いては視野も広がらないし面白味も無くなってしまうわよね…皆が揃って平均的に、そんなどんぐりの背比べでは新しいものは何も生まれてこない・・・日本のエンタテイメントが伸び悩む要因の1つであることは間違いないかも。
因みに自分は小学校の時字が綺麗と言われていたけれど、今はアイディアノートに殴り書き状態よ…きちんと字を書く機会で思い出すのは契約書くらいかしら・・・そういえば「日ペンの美子ちゃん」を見かけなくなって久しい・・・うーむ。
2016年09月12日
目黒雅叙園日記 百段階段の先には・・・編

リニューアルしてから毎週のようにお食事会で利用していたものの、歴史的な「百段階段」を訪れたのは少なく最も記憶に新しいのは辻村寿三郎氏の展覧会かも…最近機会がありガイド付き見学会に参加してみたのだけど非常に興味深い発見があったわ。
元々雅叙園は1931年に創業者である細川力蔵が”庶民も楽しめる料亭と浴場”をコンセプトに造り上げた施設で伝統的な手法を用いた日本画、彫刻、国内外から集められた銘木に手の込んだ建具とその豪華絢爛な内装は「昭和の竜宮城」と謳われたほど…今では「百段階段」と晴れやかな宴が行われた7部屋だけが唯一現存する木造建築であり東京都の有形文化財に認定されたのよ。
普段は何かしらイベントが行われているので素の状態を見られるのは貴重よ…豪華な螺鈿アートに囲まれたエレベーターを降り、いよいよ・・・というところで、何とも味も素っ気も無い会議室の様な入口に到着。これから非日常的空間に足を踏み入れるのに、と不満を抱いていると、目の前に百段階段が登場・・・!
階段は敢えて頂上が見えない様湾曲に設計され登る人が疲れを感じさせない工夫が凝らされていたの。これこそ、おもてなしの精神よね…6室それぞれに特徴があり、どの部屋にも天井や欄間に作家達の力作が大胆に配置されていたわ。
最初に訪れた「十畝の間」は四季の花や鳥が描かれていて前室は割とカラフルで可憐、本間はシックな黒を主とした色合いで落ち着いた雰囲気…照明もモダンなデザインで素敵だけれどメインで飾られている十等身美人画の掛け軸の扱いが今ひとつ・・・と気になってしまった。

そして次は誰もが息を呑む絢爛豪華な「魚礁の間」…天井には彩色木彫りの四季の花々、欄干には公家の四季の行事の様子、そして床柱には中国の魚礁問答と、その超絶技巧とも言える木彫りと美しい彩色、土台には純金箔が施されるなど、そのゴージャスさは今なお健在よ。見学者からは溜息があがっていたけれど個人的には別の溜息・・・。
数人のアーティストが手掛ける際はテーマ、世界観を統一するのが常…折角技術や彩色は見事であっても、ただけばけばしさしか印象に残らないのよね…これはアーティスト側の問題ではなくオファーした側の責任であると思いたいわ。この部屋ではかつて披露宴が行われていたけれど次第にその数は激減・・・その理由は美人が多く描かれているから、とガイドさんがネタ的に話してくれたけれど、この様にガチャガチャしているだけでなく全面に”欲”を打ち出しているような部屋では新郎新婦も落ち着かなくて当然だったでしょう…美しい空間ではあるけれどどこか空々しい印象が残ってしまい、残念ね。
次の「草丘の間」は自然が大胆に描かれ少し落ち着いたわ…元軍人の作家が描いただけに色合いがカモフラージュ柄らしいものばかりで微笑んでしまったわよ。他にも後に社長室として使われた「星光の間」では四季の花や虫、果物が描かれているのだけど、他の作品と大きく異なっていたのは最近描いたかの様な彩色の美しさ!!…作品を手掛けた板倉星光はかなりのお金持ちで、絵の具をイタリアから取り寄せていたんですって…これだけ長い時間が経ち修復必須な作品が多い中、財力を持つ者は後世に作品を残せるという・・・何とも皮肉なお話ね。
どの作品もひとつひとつは素晴らしいし歴史的に残すべきものも多い…しかしながら全体を通して見ていくと俗物的な匂いは拭いされないわ。更に付け加えさせて頂くと階段についた数字のカウントがボロボロだったり欄干の奥や什器に埃がかぶっていたりと管理の甘さが目についてしまう…しかも襖絵の保存が悪く処分した・・・などあるまじき現状も語られるという始末。
江戸時代から受け継がれた職人技術と伝統・・・細川氏が追い求めた芸術への渇望は時代と共に変化していってしまったのかもしれない。こうしてみると目黒という土地には何かいわくがありそう・・・行人坂と大円寺、日本初のあのファッションホテル、そしてこの雅叙園が同じ線上に存在することの意味が何となく理解出来たような気がするわ。
昨年の森トラストによる買収の件にせよ、どこか色と欲を切り離せない気がして残念…管理する側がもう少しだけ作品に愛情を持つことが出来たら途端に作品達は息を吹き返し輝き出すのかもしれない…アーティスト達のそんな切なる思いが百段階段の奥から聞こえてくるよう・・・そういった戒めの意味も込め、後世に残してもらいたいわ。
2016年09月09日
エージェント・オブ・シールド日記2 女達の戦い編

「アベンジャーズ」のスピンオフ・ドラマとしてスタートし、そのストーリーの斬新さで視聴者を引きつけてやまない「エージェント・オブ・シールド」…シーズン2も見事な展開であっという間に終了してしまったわ。
シーズン1では死んでいたと思われる「S.H.I.E.L.D」の敏腕エージェント、コールソンが生きていた!!という衝撃的な事実からスタートし彼が如何にして生き返ったかという事に焦点を当て進行…シーズン2では新生「S.H.I.E.L.D」の長官に就任し悪の組織ヒドラを始め様々な敵にに立ち向かうことに…メイをはじめとする旧メンバーに元傭兵のハンター、ハンターの元妻でシールドの有能なエージェント・モース、同じくメカニック専門のマックという頼もしい面々が加わり展開もアクションも更にパワーアップ。
そして最大の見どころは、一人前のエージェントに成長したスカイの過去・・・長い間探し続けた両親を見つける事が出来たけれど、それは大きな悲劇の始まりだったの。その他にもメイやモース、といった女性陣の過去や日常にもスポットが当てられ、エージェントとして、女として、その狭間で生き抜く事の厳しさと悲しさが描かれる事により物語により深みを与えていているわ。
スカイがようやく対面した母ジャーインは”インヒューマンズ”と呼ばれる超能力者で、父カルは科学的な力で人為的に超能力を得た医師だったの…ジャーインはインヒューマンズが安全に暮らせる世界を創ろうとし、その為に全てを犠牲にしようとしたけれどカルはジャーインと娘スカイを心から愛し、家族として生きる事を夢見て怪物となってしまった…でも本当の怪物はインヒューマンズを脅威とみなす「S.H.I.E.L.D」であり世の中だったのかもしれない。
なんともやりきれない展開ではあるけれど、カルの娘に対する深い愛情はその歪んだ行動や言動の合間から溢れ出し、物語が進むにつれてじわじわと心に染みこんで切なかったわ。
幼くして別離した娘が成長し再会出来、その間に紡ぎたかった時間を取り戻そうとするカル・・・しかし娘にどう接して良いかわからず、つい幼子にするような行動をとってしまい戸惑いっぱなしの彼を見ていると、あぁ親子とは素晴らしい関係であり、無償の愛とはこういうことなのだと思い知らされ羨ましくなってしまった。
カルを演じたのは映画「DUNE」でポールを演じたあのカイル・マクラクラン!!…キャスティング的にもドツボね。沈着冷静なジャーインもメイも肉体的にも精神的にも別格に強くその信念を貫く女性戦士達の姿勢には脱帽よ…でも極めて強くなったのは医学のスペシャリストであるエージェント・シモンズかもしれない・・・前回は笑顔を絶やさない可憐さから一変、現場での判断の非情さに真の強さというものを感じざるを得なかったわ…やはり女はここ一番というところで物凄いパワーと決断力を発揮するものなのね…うーむ、素敵。
さてさて、桁違いに強い女性陣が大活躍のシーズン2終了後は、御大コールソン率いる男性陣の活躍に乞うご期待!!…これで本当に男梅のヒドラ子孫は全滅したのかしら・・・。
2016年09月07日
親の回路日記 人生も脳も変わる・・・!?編

自分は猫以外の子供を持っていないので今ひとつ実感は湧かないけれど、子供を産んだ友人達に起こっている些細な変化は感じ取ることができたわ…親になることで人生が大きく変わるけれど、実は脳にも大きな変化が起きるそうよ!
米国アカデミーで発表された研究によると自分の子供を育てると脳の特定の神経回路が目覚め、脳の活動を変化させる事がわかったの…しかもこれは母親だけで無く父親にも起こるのだとか。父親にも母性本能と同等の神経回路があり子供を持つと妊娠を経験しなくても親の回路が活性化されるんですって。
科学者達は初めて親になる異性愛の母親、異性愛の父親、2人のうち1人が生物学的な父親となっている同性愛の父親を対象に調査したところ、異性、同性に関わらずどちらの親の脳にも「親の回路」と呼ぶべきものが活性化していたことがわかったとの事。
この回路には2つの異なる領域があり、1つは主に感情系、報酬系などと結びつき扁桃体、側坐核、島皮質にマッピングされる部分で、もう1つは経験や社会次元と結びつき前頭葉皮質と上側頭溝と関係する部分だそう。
面白い事に女性の場合は前者…男性の場合は後者の部分が活性化され、特に男性は経験と寄り結びつく領域の反応が強かったんですって…因みに同性愛の父親の場合は異なり女性に近い領域に反応があったそう。
親になることで脳の中の回路が切り替わる、というとなんとも色気が無いけれど、これらの結果からこうした脳の変化は妊娠や出産の際に起こるホルモンの影響より子供に付き添い育てていくことで起こるという事なのね。
やはり”育メン”はこういった回路の活性化に影響していたのかしら…自分も猫姉妹たちを育てはじめてからというもの、脳が活性・・・あ、男性の要素が強い・・・。
そう言えば今年御年73歳のMick Jaggerが43歳年下の彼女との間に子供ができたとのnews…確か8人目だそうですがミックパパの回路はどちらかしら??…フフ。
2016年09月05日
水分日記 たくさん飲んでたくさん潤う・・・編

実はこのお水をたくさん飲むという行為は、知的作業の効率をアップさせたり、子供の場合は集中力や記憶力を高める効果があるんですって!
イースト・ロンドン大学とウェストミンスター大学の研究者たちによると知的な作業に集中する前に約0.5リットルの水を飲んだ人は、飲まなかった人と比べて14%反応時間が速くなるとがわかったの…更に喉が渇いている人を対象に実験を繰り返したところ、この効果ははっきりと出たそうよ。
僅かな水分不足であったり水を飲みたいという刺激を感じていない時にも知的パフォーマンスに与える影響があるというからビックリね。
いくつかの理論によれば脳の80%は水分で出来ているので沢山の水を飲むことで頭脳の働きを高める、ホルモンの不均衡を水が制御しているという説が有効で、頭脳の働きを高める為に水分は重要であるという事にはなるほど納得させられたわ。
成人に対しての研究でこれらの結果が明らかになったけれど、子供達を対象に実験したところ興味深い結果が・・・。子供達の集中力と記憶力は、たったコップ1杯の水であったにも関わらず成人よりも影響が大きかったというから、これは若さの・・・いや細胞の活性が起因しているのかもしれないわね。
人間の知的能力向上に水分は不可欠・・・これは水分がガソリンの役割を果たし、脳を一生懸命働かせていると解釈すれば多量の水分を摂るのも苦ではないわ。
頭の中にあるアイディアを具現化するにも脳にしっかり働いてもらわなくてはね…食事前にもまず水分をたっぷり摂って・・・あ、お酒ではないですよ。念のため…そうそう、あまりお水を飲み過ぎてフランク・ハーバートの「DUNE」のような青い瞳になったら素晴らしい世界が見えるかも…フフ。
2016年09月01日
ケンドリック・ラマー日記2 トゥ・ピンプ・ア・バタフライ編

彼のパフォーマンスから心臓を抉られるような衝撃を受けたのは、アーティストとしての才覚が素晴らしいだけではない…彼の中に息づく魂が自由を求めて叫び、血を流し戦っている様が音を通じて感じ取れたからだ。
近年、立て続けに勃発する白人警官と黒人の悲痛な事件によりアメリカの根深い人種差別は未だ続いているのだと痛感させられる。平和な日本にいるとこの社会問題はどこか他人事の様に思えてしまうが改めて差別とは何層にも塗り重ねられた厄介な厚みがあり、それを打ち壊すにも相当のパワーが必要であると気付かされた。
コンプトン出身のケンドリックの音楽はそんな平和ボケした自分の感覚を覚醒させてくれたのだ。
それは彼の力強いメッセージの背景にある音楽とは本来自由なものであり、その表現も方式もアーティスト自身が描き出す唯一無二のものであるということ…そして何より”楽しむ”ものである、という基本的なことだ。
どうしても創る側は理論やクオリティ、機材等々知恵が付くほど囚われがちになり小さく纏まってしまいがちになる。逆に自分自身はその点が及ばない事に萎縮してしまっていたが、ケンドリックの音に触れ音楽の存在意義を再認識出来た…音楽は私達の生活に表情を与え、時には素晴らしいカウンセラーともなり得る素晴らしいものであることを・・・。
前置きが長くなってしまったが自分のチャクラを開いてくれた彼の最新アルバム「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」を紹介させて頂きたい…このアルバムはこれまでのケンドリックの作品と一線を画しているし、RAPアルバムとしても革新的と言える。アートワークはホワイトハウスの前で打ちのめされた裁判官、彼を囲んで酒と金を持った笑顔のストリート・ギャング・・・アルバム全体を通し、奴隷制度から件の黒人射殺事件、更にアンクルサムによる黒人の搾取の構図を取り入れ、時にはストレートに時にはシニカルに、コミカルに表現しているのが素晴らしい。
特に秀逸なのは天才的なセンスある楽曲・・・こういったジャンルの場合リズム・トラックなる呼称が在るのかも知れないが、敢えて楽曲と呼ぶべきかも。
アルバム1枚を通して非常に心地良い構成になっており、1曲1曲のクオリティが高く、とにかく「格好良すぎる」としか言い様が無い…ケンドリックのRAPはそのリリックの威力は勿論だが、言葉を紡ぐリズムと声は最早最高の楽器である。とにもかくにも心地良い、COO---L過ぎてアルバムの並び通りについ最後まで聴いてしまう。
更にケンドリックの声のバリエーションの豊かさも圧聴…シーン毎に様々な彼が登場するのも見事で、役者としても大成するのではとさえ思える。アルバム全曲どれも素晴らしいが、やはりグラミー賞でアレンジを変えて挑んだ「ザ・ブラッカー・ザ・ベリー」映像表現も実に見事な「オールライト」は特に耳を惹きつけてしまう…テーマは重くとも、そのセンスと絶妙な間合いで細胞に染みこんでくるのは、やはりケンドリック・マジックだ。
特筆すべきは、2曲目に配置された「For Free?」…こちらもベティちゃんの様なナイスバディを持つセクシーでわがままな黒人女性をケンドリックが追い回し、己の体もただでは無いのだと言い寄るというコミカルなPVなのだが、このビッチ・ベティはアメリカを象徴しており、昔コットンを積んでリッチになった黒人は今ラッパーとして成功しても搾取され続ける、選択の自由もないという皮肉が込められている…たった2分10秒のインタールードではあるがモダンジャズのアプローチが鳥肌もので、ケンドリックの鍵盤を流れ弾く様なスムージーなRAPは名人域だ。
言葉が悪いが”やばすぎる”!!と言わせて頂こう…ラストの「モータル・マン」は2パックとの会話とドラマティックな演出で纏めているが人間の発するものは吐息でさえも音楽になるのだと気付かされ、目から鱗の勢いだ。改めて思うのは、ケンドリック・ラマーという人物は思慮深く知的なアーティストであり、彼が黒人としてコンプトンで生まれ育ってきたのも意味がある事だったのではないだろうか。
人間は負の状況に於いてそれに流される者、活路を見出そうとする者に分かれてしまうものだ…抵抗し藻掻いて傷だらけになったとしても、その位置まで辿り着いた者にしか見えない何かがあるのは確か。己に自尊心が無ければ相手が自分をリスペクトしてくれるはずは無い、まずは自分の心の中から変えていかなくては、というケンドリックの言葉に偽善的な響きが一切感じられないのはそのせいだろう。
彼を救世主とか先駆者など月並みな呼び方はしたくないが、古より存在する人間の絆や音の楽しさなどを思い出させてくれた事はセールス以上に重要な功績ではないだろうか・・・。